今日は久しぶりに外へ出てアップグレード依頼の製品, オーバーホール依頼品のお預かりなどで4人のお客さん宅を訪問させて頂きました。それぞれのリスニングルームにそれぞれの顔と音がある...その個性を確認させていただくのは装置を提供させていただく側の何よりの楽しさであり、元気に鳴っているオーディオと再会するのは大きな歓びです。
今日いちばん興味深かったのは最後に伺ったSさん宅。Sさんのもう一つの趣味である写真についてオーディオそっちのけで色々教えて頂いたことが非常に印象に残りました。


ローライフレックスとかハッセルブラッドという名前は聞いたことがあっても、触ったこともなければ勿論撮ったこともないド素人の私が名器と言われるカメラに触って実際シャッターを切らせていただく過程でオーディオとの共通点を幾つも感じました。
蓋をカチャッっと開けて上から覗きながらピントや絞りを調節する...アコースティックギターを被写体としてボディの木目にフォーカスするのか、ナイロン弦の表面の光沢を際立たせるのか、ホールの中に微かに見えるラベルの文字を浮かび上がらせるのか...対象物は同じでも人によって見ている所が皆違うことをカメラのファインダーの中の景色が教えてくれます。そしてカメラやレンズが変わると見え方も全然違います。
私がいちばん美しいと感じたのは、やや焦点距離が長いレンズで自分が一番際立たせたいポイントにピントがバチっとあった瞬間に現れる周辺のボケ感。平面である筈の画像のなかに深い奥行き感が現れる、まさにオーディオに何を求めるかと同じ感覚にたいへん興奮しました。
敢えて言えば高価な機械を所有したからと言って良い写真が撮れる訳でもない、逆に機械のレベルが上がるほど人によるクオリティに差が出るのもオーディオに似ています。カメラを持たずともスマホで写真が撮れ、現像せずとも瞬時に写真として完成し、簡単に画像をトリミングしたり編集も一瞬で出来る、敢えてフィルムカメラで写真を撮ることの価値(意味)は何かを改めて考えさせられました。
技術の進化は「均質化」(使い手によって結果が変動しないこと)なのかもしれません。ただしそれが無個性化だとしたら大変残念なことです。言い換えれば誰が撮っても、何を考えずシャッターを切っても(画面をタップしても)ピントが合っている。なんなら後から背景を変えたり自分を”盛る”ことも出来る、その便利さ(進化)によって逆に失われる何かもがあるような気もします。
単に音が出ればいいのであれば、真空管アンプなんて面倒臭くてとても...そう思うのも無理からぬこと。しかし、だからこそ面白くて堪らない...そう思ってくれる人たちと私たちは共にありたいと思います。進化でなく”深化”のために。