Capital Audiofest 2024 / Washington DC
2024年 11月 09日


同じオーディオファンでもDIY(=自作派)と一般ユーザーではかなり立ち位置が異なります。自作派はつくるという”過程”を通じて出た音に達成感という”結果”を求めるのに対し、多くの一般ユーザーは市場における”評価”と”ブランド力”を通じて出る音に満足感と共に憧れの機器を手に入れたという所有欲を満たしておられるように思います。
少し脱線しますが、私も20年くらい前までは足繁くオーディオショーに行っていました。既に今の仕事を始めていましたが、当時の当社の業態は完全に”過程”重視。つまり作ることが目的の大半を占める製品企画が大半で、同じオーディオでもテリトリーが違う…例えていえば料理教室の先生が高級フレンチを食べに行くような感覚がありました。
それが時間の経過とともに次第に私どもでも完成品出荷比率が高まってきて、”作って楽しいか”よりも”音が良いか”という目線で見られるようになってきました。同時に自ずと市場のオーディオ製品に対する見方も変わっていきました。
先日ある方がこんなことを言っていました。
”昔はオーディオを買いたい人が雑誌を買い、ショーに行った。今は買わない人がカタログ代わりに雑誌を読み、買えない商品を眺めにショーにいく”
昭和の頃のオーディオ雑誌にはその”等身大”がありました。いまのようにオーディオ評論という行為が独立した職業でなく、オーディオ愛好家や音に強い拘りをもつ音楽制作に関わる人たちが、ユーザーの延長戦上で新製品をレビューする、そのリアリティに惹きつけられたものです。菅野沖彦さんや山中敬三さんに代表される大先達が時に厳しい筆致で製品を斬る、その姿に逆に強いオーディオ愛を感じた方も少なくない筈です。”あの先生が使っているから私も買った”なんて方もとても多かった。現在おつきあいのある評論家もそんな方ばかりです。
そういえば96年か97年のステレオサウンド誌のレビューで今でも忘れられない一文があります。故 朝沼予史宏さんが或るスピーカーと真空管アンプを試聴したレビューの最後を”この組合せをこのまま家に持って帰りたい”というような文章で結ばれていました。これこそが等身大。プロでありながら良きアマチュアリズム(ユーザー目線)に心揺さぶられたのかもしれません。
国内であれ海外であれ、私どもの製品を選んでくださる皆さんが、これからも”等身大”を感じて頂けるように初心を忘れてはいけないと感じています。その意味でもキットメーカー出身というのは自分にとっても大きな誇りです。