予定より少し遅れて帰宅。さすがに体の無理がきかなくなってきたことを痛感します。

そんなこともあり、今日は予定を変更して家で溜まったメールの返信をしつつ昨日のフリマの戦利品を鑑賞することにしました。日ごろ聴くジャンルとは異なる音楽がどう鳴るか確認も含めて楽しんでいます。
やはり自分のシステムで聴く音は最高です。この最高は誰かの何かと較べて優れているということではありません。自分のなかで最もニュートラルで、装置の存在が消えたかのようにずっと聴いていられる、自分の人生と感性が投影されたように違和感のない自分の一部だということ。
オーディオの楽しみに買い替えあり、という意見があるのもよく分かります。アンプを替えてこう変わった、ケーブルを変えてこう変わった…確かに変化を感じるのは楽しいものです。
しかし真空管アンプの最も根源的な楽しみ方として、まず生涯の伴侶とすべきスピーカーを決める、そしてそのスピーカーのための縁の下の力持ちとしてのアンプ選びを行う、その過程で真空管が替わったり、コンデンサーが替わったりはあったとしても、気に入ったアンプと一緒に暮らしていく、生涯添い遂げる…そんな感覚。
もちろんその時々で、毛色の違う音楽を鳴らしてみたい時の音色(ねいろ)の違うアンプを一台もつ、時に味変(あじへん)したい時のために別の出力管をストックしておく、そういう楽しみ方も大変結構です。ただ、それらを大いに楽しみながらも根底にあるのはいつも変わらぬ”自分の音”を鳴らし続けること、これがが一番大切だと感じます。
60年代のJBLと同じく60年代のTANNOY、全く逆ベクトルのスピーカーのようでいて、たまに来る友人たちは”スピーカーが替わってもアンプが変わっても大橋の音だね”と言ってくれます。これは私にとって最大の賛辞のひとつだと思っています。オーディオは機械を鳴らす趣味ではなく、自分を投影する鏡だからです。
そのイメージが一貫している限り、機器をとっかえひっかえする必要はなく、どんなジャンルの音楽もきっと自分色に染まることでしょう。それこそが趣味のオーディオの王道のような気がします。