この仕事をしていて最も刺激的と感じる事の一つに様々な人との出会いがあります。世代も生き方も価値観も異なる人と同じ趣味で繋がっていくのはとてもエキサイティングなことで、特にクリエイティブな仕事に関わる方が多いのが、オーディオを趣味とする人の特徴かもしれません。
最近ある有名な陶芸家さんと仲良しになりました。少しお喋りしただけで旧知の知り合いのような関係になったのも、同じ体内言語でコミュニケーションがとれたからでしょうか。
その方がよく仰るのは、(一部の)真空管アンプが持っている内から迸り出るようなエネルギーは手捻(てびね)りの器にとてもよく似ている…現代の規格化された同じ形, 同じ厚み, 同じ彩色の器にはないマグマのようなパワーがある、火焔土器みたいにね、と言っておられたのがとても印象的でした。
火焔型土器 ※
ウィキメディア・コモンズ太古の人たちが作り上げたこの火焔土器にはまさに生命の力強さと神々への畏れを感じます。ただ陶芸とオーディオに違いがあるとすれば、真空管アンプには作品でなく製品としてクリアしなければならない”一線”があることかもですね…と言ったらその方はこう返されました。
それは陶芸でも同じ。作品として世に出るのは創った中のほんの僅かで、自分の中での一線はもちろんある。ただ素人さんが見て形が崩れているように見えても自分のイメージに合っていれば作品として成立するし、一見整っているようで力が無いものは棄てる。その結果世に出たものに対し否定的なことを言う人がいても気にする必要はない。そもそも見ているところが違うのだから…こんな話でした。
これは私たちにとっても永遠のテーマの一つで、例えば交流点火の直熱管アンプの音質の良さを以て良しとするか、残留ノイズの多さを以て悪と為すか…という議論にも似ているような気がします。
その点では陶芸も真空アンプも同じなのかもしれませんが、最終的には自分の感性とお客さんを信じることしかないということなのでしょう。