ソースそれぞれの”耳”
2024年 08月 03日
最初はちょっと旧いのを聴こうということでSP盤を。
これは録音時期不明のワルター / BPOのR.シュトラウス”薔薇の騎士”。ワルター盤はSPだけでも100枚以上あり、LP時代になってからの音源も含め一番好きな指揮者のひとり。
ハイフェッツの1918年独奏盤。これもLP等でリイシューされていますが当時の音源で聴くと違った印象の愛聴盤です。ハイフェッツのほかミルシテインやジンバリスト, クライスラーの演奏が聴きたくて蒐集した時期もあります。電気再生するかアクースティック再生するかでもSP盤は味わいが全く違います。いつかクレデンザを手に入れたいものです。
2時間ばかり一緒に聴いていた姉と義兄が”聴いていると違和感が全然なくなるね。耳が音源に慣れるのかな、音が良いとか悪いとか、新しいとか旧いとか忘れるよね”と言っていました。
業界的にも”SP耳”という言葉を聞いたことがあって、SP盤を聴いていると自分のなかで脳内補正がかかって、あたかもイコライゼーションされたように、このカマボコ特性がニュートラルなバランスに聴こえてくるもの。カセットを聴くときも独特のダイナミックレンジ感と音色に自分が慣らされていく感じが確かにあります。ソースそれぞれに合った聴き方を自然としているということですね。
誰かが言っていました。「エージングされるのは機器だけでなく、我々の耳と感性も次第に音に寄り添っていくのだ」…蓋し名言といえるでしょう。